日本和声と調の揺らぎ

この記事からは機能和声からいったん離れ、日本の伝統音楽に対して和声をつける方法について述べたいと思います。J-POPと日本の伝統音楽は一見関係がないように見えますが、調の揺らぎという観点では共通点があります。また日本の伝統音楽のメロディ作成方法を利用して作られたヒット曲もたくさんあり、J-POPしか作曲しない方も知っていて損はありません。

小泉文夫氏の発見

小泉文夫は日本を代表する民族音楽学者で、1958年に出版した「日本傳統音楽の研究」(音楽之友社)によりその地位を得ました。この本の音階議論における彼の発見は、終止音(核音)の法則、四種類の完全四度音型(テトラコルド)がメロディの基礎となっていること、テトラコルドの組み合わせによって代表的な四つの日本音階を作成することができることの三つです。それぞれを簡単に見てゆきましょう。

終止音(核音)の法則

彼はわらべ歌の分析を行い、メロディの終止音に法則があることを発見しました。(日本傳統音楽の研究1 p.107)

  1. 長二度の二音からなるメロディ(二音旋律)の場合は上の音が終止音。
  2. 上下に長二度離れた三音のメロディ(三音旋律)の場合は真ん中の音が終止音。
  3. 長二度と短三度の組み合わせのメロディの場合は外側の音が終止音。
  4. 終止音以外の音は、終止音へと引きつけられる。(日本傳統音楽の研究1 p.124)
終止音の法則
終止音の法則

そして終止音と終止音が他の音を引きつける働きをまとめて「核音」と命名しました。

「テトラコルド」の概念

彼は上記から日本の伝統音楽には完全四度のまとまりがあると結論づけ、ギリシャの音楽理論にならってこれを「テトラコルド」と命名しました。また四種類のテトラコルドが存在することも述べています。(日本傳統音楽の研究1 p.164)

四種類のテトラコルド
四種類のテトラコルド

代表的な四つの日本音階

彼は同じ種類のテトラコルドを二つ組み合わせて代表的な四つの日本音階を作成しました(日本傳統音楽の研究1 p.187)。以後これが日本音階のスタンダードとして考えられるようになりました。(日本芸術文化振興会「基本となる4つの音階」)

代表的な四つの日本音階
代表的な四つの日本音階

テトラコルド理論に対する批判

「日本傳統音楽の研究」が出版されてから、音楽学者の間で大きな議論が湧き起こりました。それによって指摘された批判点は主に二つです。

四つの日本音階に当てはまらない曲がたくさんある

例えば下例の「うさぎ」(小学唱歌ではなくわらべ歌)は前半が民謡音階、後半が都節音階です。

うさぎ(わらべ歌) 理論的に正しいコード進行
うさぎ(わらべ歌)

複極調の理論を読んでいただいた方はこれが転調というよりは「調の揺らぎ」によく似ているように聞こえるのではないかと思いますが、いかがでしょう。「君が代」にも似たような「調の揺らぎ」が存在します。

分析方法が複雑

「日本傳統音楽の研究1」で彼が実際の伝統音楽を分析する際、代表的な四つの日本音階を用いることは少なく、あくまでテトラコルドを基礎として分析しています。分析内容から、彼はどうやら「調の揺らぎ」に似た概念を前提として分析を行っているようですが、この部分が十分に説明されなかったため応用することが困難でした。

テトラコルド理論の改良

これらの批判は「調の揺らぎ」の概念が曖昧なまま、人々の注目が四つの日本音階だけに集まってしまったからと言えそうです。そこで私はまず「調の揺らぎ」に複極調という名前を与え、説明を行いました。そして調の基礎を日本音階ではなくテトラコルドに置くため、前述の二音旋律における核音の概念を「二音のモード」、三音旋律における核音の概念を「三音のモード」に置き換え、独立した調(モード)として扱うことにしました。つまり四つの日本音階はそれぞれ中心音の違う二つの三音のモードが組み合わされてできていて、それらの音階で作られたメロディは二つの調(モード)の間を揺れ動いていると考えるのです。それぞれの「モード」については個別記事を参照ください。

和声について

メロディの次はハーモニーについて考えてみましょう。日本には「伝統的日本和声理論」というものは存在しません。これは西洋音楽理論よりも遅れているという意味ではなく、日本の伝統音楽の作曲家や演奏家はユニゾンをわざと崩し、自然で思いがけない音の重なりを生み出すことについて細心の注意を払っていました。おそらくメロディと和声は一体化していて、これを分離するという発想自体がなかったのでしょう。なお古代中国から伝わった雅楽にはメロディを装飾するための和声が存在します。

「日本和声」を作る試み

とはいえ、日本の伝統音楽にも「和声理論」があってもいいと考えるのは自然です。近代の日本の作曲家の中には日本和声理論を創造しようとする人もいました。しかしその方法は、四つの日本音階から総当たりで音を組み合わせ、自分の主観で使えそうな和音を選び出す、という方法でした。これでは「調の揺らぎ」や核音を上手く活かすことはできませんし、主観の根拠または原理のようなものがはっきりしないため、発展性がありません。

和声の理論化に関する私の方針

私は和声もまた「三音のモード」から生み出されるべきだと考えます。その理由はメロディ理論と和声理論の整合性をとることによって、和声付けや「調の揺らぎ」にスムーズに対応できるからです。まずは三音のモードの構成音を同時に鳴らして基本の三和音を作り、それに様々な方法で付加音を追加して響きの変化をつけるという方針で独自の和声理論を展開したいと思います。

まとめ

小泉文夫氏が始めた日本の伝統音楽の理論化はその後あまり進展しているとは言えません。その理由は複雑すぎる分析方法が嫌われ、過度に単純化された音階理論が普及してしまったからでしょう。個別記事では四つの「モード」についてそれぞれ詳しく説明しますので、日本の伝統音楽やそれに基づいたJ-POP楽曲について理解を深めることができます。またKindle本では「モード」の理論と機能和声を組み合わせて音楽を作る方法にも突っ込んだ議論をしています。四度圏と同様に使える便利なツール「環」の紹介もあります。日本の伝統音楽の響きをフィーリングではなく理論的に活用して自分の個性としたい作曲家・作曲家志望の方はぜひお読みください(下巻での収録内容ですが、上・中巻での知識が前提になっていますので、上巻からお読みください)。理論よりも、とにかく指を動かして覚えたいキーボーディストの方には「和風ハノン」がおすすめです。

J-POPの和声学(下)
和風ハノン

道案内

日本の民謡に使われる「第一モード(民謡のモード)」、芸術音楽や宗教音楽に使われる「第二モード(都節のモード)」、雅楽や古代の響きを持つ「第三モード(律のモード)」、沖縄民謡によく使われる「第四モード(琉球のモード)」は上記の順番で読むのがおすすめです。すでに一通り読まれた方はトップメニュー「楽曲分析・和声付け例」で最近の投稿をチェックしてみましょう。

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